野上哲也

-概要-
出身地:
神奈川県大和市

趣味・特技:

・楽器演奏(ギター、ドラム、ピアノ)
・作曲
・歌
・格闘技(キックボクシング、合気道)
・IT全般(プログラム、サーバー、ネットワーク)
・スキー
・囲碁
・アルゼンチンタンゴ
・中国語

好きな場所:ハワイ、ディズニーシー、江の島、新宿御苑

好きな作家(敬称略):星新一、綾辻行人

尊敬する人(敬称略):松下幸之助、イチロー、大谷翔平、井山裕太

※以下長文です!興味ある方でないとシンドイかも知れません…

 

野上哲也 高校時代

父親が通っていたボクシングジムに、6歳の頃から通い出しました。

ボクシングは小学校4年まで通うも、なぜか急に「柔道がやりたい!」と思い、柔道の道場を探しましたが近所で見つからず… 母親から

「合気道の道場なら近くにあるよ。柔道と似たようなものじゃない?」

と言われ、合気道道場に入門。(※柔道と合気道、実は全然違う!)

 

合気道は小学校卒業まで続けましたが、中学では部活の入部が必須だった為、やむなく合気道をやめてバレーボール部に入部。

高校に入学してからも引き続きバレーボール部に所属。しかし、高校で仲良くなった友達のグループが全員空手部だった事から、空手部に移籍しました。

 

野上哲也 ギター演奏

唐突ですが、高校1年生の夏、音楽にめざめエレキギターを購入。

当時ギター演奏が面白すぎて、狂ったように練習… なんと1日平均8時間!!

高校を卒業する頃からキックボクシングを開始。空手は何となく自分に合っていないと思ってましたが、キックは打ちたかったのでキックボクシングは自分に合っていました。

 

白馬で住み込みバイト

20歳の頃、突然スキーの勉強がしたくなり、長野県へ泊まり込みのバイトへ。

白馬八方のペンション(ヒュッテかもしか)に住み込みでバイトさせてもらい、毎日仕事の合間にスキーの練習。一人で旅立った全く知らない土地、しかも雪国、毎日全てが新鮮で刺激的な時間でした。

 

ミュージシャンへの道

神奈川の実家へ戻ってからは、何故か本気でミュージシャンになりたいと思い作曲活動を開始。当初ギターはある程度弾けましたが、「作曲には鍵盤楽器が必要だ!」と誰か(?)に言われ、ピアノの勉強も開始。

ピアノの先生に勧められ、子供たちに混じってピアノ発表会に参加も参加しました。恥ずかしかったけど…

 

野上哲也 ピアノ演奏

キックボクシングは少し教えられる位にはなっていましたが、プロになる気はなかったのでミュージシャンとして音楽活動に専念。

当時ドラムも勉強していた為、作曲はほぼ全パート自分の演奏で可能でしたが、良いボーカルが見つからず… やむを得ず音痴だった私が「もう自分が歌うしかない!」と勝手に追い詰められ、歌の学校へ。

音楽関連の仲間が増え、いろいろあって非常に運よく音楽事務所に所属。歌手のバックでキーボード演奏及びコーラスとして起用されました。

スタジオ・ミュージシャンとして所属事務所のスタジオで主にキーボードを演奏してましたが、事務所の社長が私の曲に目をつけ 「この曲は素晴らしいから、JASRACに登録しよう!」と言ってくれたのですが、その直後 事務所倒産。

 

野上哲也 碁会所

 

IT業界へ

仕事を探さなくてはいけなくなりましたが、今まで食つなぐ為にやっていたガテン系(大工や引っ越し屋さん)の仕事は先がないと考え、行きついた答えは「今の時代はITだ!」

と言う事で、突然「パソコンの仕事をしたい!」と思い、独学でサーバーやコンピュータープログラムなどの勉強を開始。

そしてまったく脈絡はないのですが、この頃猛烈に囲碁にはまり、教室にも通い出しました(汗) ↑の写真はは当時所属していた囲碁サークルのモノです…

仕事はインターネット関連のコールセンターを経て、念願のシステムエンジニアとして就職が決定。

 

アルゼンチンタンゴとの出会い

北京アルゼンチンタンゴミロンガ

しばらくして、長くなるので説明は割合しますが(スミマセン… どこかでお会いする機会があればお話します!)、とある出来事により「アルゼンチンタンゴ」に出会い、ハマり。

あまりの楽しさに、ほぼ毎日踊りに行く始末… IT関連の仕事は残業も多かったのですが、仕事の合間にもレッスンを受けに行ったりしてました。もはや中毒患者!

 

中国語学習もスタート!

アルゼンチンタンゴをはじめたとほぼ同時期に、中国語の勉強も開始。

外国語は以前から勉強したいと思っていたのですが、どうしても「英語以外」で勉強したかったのです。理由は「英語は誰でも話せるのでインパクトが弱い!」と言う事でしたが、今考えると絶対に英語の方が実用性は高いので、英語にしておいても良かったとは思います(汗)

中国語に関しては、昔から中国の歴史が好きだったのと、漢字文化なので日本人には比較的簡単だろうと言う安易な考えからでした。

 

私の人生を変えた「上海タンゴ旅行」

上海駅

この頃は毎日中国語とタンゴ三昧!

十二分に生活を楽しんでおりましたが、更に刺激的な出来事が発生しました。

タンゴ仲間と「上海へタンゴを踊りに行こう!」となったんです。

上海の観光と、外国でのアルゼンチンタンゴ、二つの目的を持った旅行でしたが、この旅行で私の人生は大きく変わる事になります…。

 

無錫アルゼンチンタンゴ教室

上海タンゴ旅行は、私に二つの大きな衝撃を与えました。

一つは

「上海タンゴのあまりの素晴らしさ」

もう一つは

「自分の中国語レベルの低さ」

 

これで私は「もっと中国語を勉強したい!」と言う想いと、「上海でもっともっとタンゴを踊りたい!」と言う強烈な想いを抱くようになりました。

 

中国へ語学留学

結果、この旅行から半年後、私は仕事を辞め中国無錫市にある江南大学へ留学する事になります。(無錫と上海は新幹線で1時間の距離)

平日は中国語の勉強、週末は上海へ出てタンゴを踊る生活を繰り返しました。

上海でのタンゴと、現地での語学学習。本当に充実した毎日でした。

 

留学生にキックボクシングを指導

留学中、同じ寮に住む留学生(日本人、外国人問わず)にキックボクシングの指導を頼まれ、平日の夜キックボクシングのレッスンを開始。(自分でも練習したかったので、ミットやグローブは日本から持ってきました)

 

アルゼンチンタンゴ講師をやる事に

ほぼ同時に、無錫の企業から突然、「タンゴの先生をやってほしい」とオファーを受け、無錫でタンゴも教える事に…。

正直タンゴはプロのレベルではなかったのでためらいはありました。

しかし、当時の中国ではまだタンゴは始まったばかりだった為、全員まったくの初めてと言う方ばかり。おかげで何とかなったのだと思います。

しかも、レッスンは全て中国語で行うので、私の中国語の練習にもなりました。これは非常に有難かったです。

 

仕事を求め、上海へ

さて、留学終了期間も迫って参りました。

留学当初は1年だけ勉強して、日本に戻って就職しようと考えていましたが、この時点で私は外国での生活が楽しすぎて日本に戻る気をなくしていました。

無錫で就職先を探しましたが、ここでは日本人の採用がほとんどなかった為、上海へ引っ越しました。

 

上海超高層ビル

上海で就活の末、私の過去のIT企業での経歴が認められ、とある浄水器の販売会社の「IT部門責任者」として入社する事になりました。

「がんばるぞ!」と思った矢先、入社一ヶ月も経たないうちここは実は「ヤバイ会社」である事が判明…(※詳細は書けませんが(汗))

 

上海のアパートから夜逃げ…

退職の意を告げ、この会社を退職する事は出来たのですが、いろいろすったもんだあって家を夜逃げしなければならない事態になり…。

さらに既に手持ちのお金もほとんどなく、私は絶望状態に陥りました。

上海に骨を埋めるつもりで引っ越した矢先です、直後に身ぐるみはがされ、家を失い、敗北感でいっぱいになりました。

 

最後の上海タンゴを踊りに…

しかしこうなってしまったのも運命だと、荷物は日本の実家に全て送り、「最後に上海でタンゴを踊ってから帰りたい」と、タンゴ会場に向かいました、

 

上海アルゼンチンタンゴミロンガ チャイナドレスデイ

滞在中お世話になった上海タンゴ会場のオーナー(台湾人夫婦)に事情を話し、日本へ帰らなければならないとお別れの挨拶をしました。すると…

「我々は家族も同然、何をミズクサイ事を… 家がないならウチに泊まれ!ウチで食事すれば金も必要ないぞコノヤロー!!」

…的な意味の事を言われ、あまりの事に呆然と立ち尽くしていました。

家族を大事にする国柄なんでしょう。気が付くと、私は号泣していました。

 

地獄の居候生活!

それからがまた… 激動の日々でした…

平日の昼は彼らの経営するレストランの手伝い、夜は毎日(週7日!)「タンゴレッスンのアシスタント講師」及び「ミロンガ(タンゴパーティー)」で全員の女性を誘って踊る(それが私の義務)。

ここまでも結構なタンゴ三昧でしたが、この期間は鬼でした。踊りまくりました。あまりの過酷な労働(?)に、いくら食べても痩せていく一方でした。

後日タンゴの友人は私に語りました「あの時の君はまるでマシーンのようだったよ…」と。

(↑の写真は、上海ミロンガで実施した「チャイナドレスディ」の記念写真、圧巻です!)

 

更に奇妙な居候生活

ルイージ&アナリア

この後、オーナーが企画した上海タンゴ大イベントの為、アルゼンチンの有名なダンサー夫婦が来中しました。

問題なのは、オーナーが彼らの泊まる場所を確保し忘れた為、私を含む「5人」でオーナー宅で約3か月過ごす事になります。マジすか…

ここで奇妙な関係の会話発生…

台湾人オーナー夫婦 と 私 → 中国語
台湾人オーナー夫婦 と アルゼンチン夫婦 → 英語
アルゼンチン夫婦同士 → スペイン語
アルゼンチン夫婦 と 私 → 日本語
(※彼らは日本に何度も呼ばれている為、日本語が話せるのだ!)

まぁ…私が英語出来れば楽だったんですが、出来ないもんはしょうがない。

昼は就職活動、夕方から夜にかけて踊りまくり、帰宅後は5人でどんちゃん騒ぎ。こんな生活を約3ヶ月続ける事に… これは本当に意味で死にそうでした…(汗)

 

上海タンゴ国際フェスティバル

 

上海のIT企業に就職

しかしその苦労もあって、まともなIT企業に就職出来る事になりました。

タンゴ講師は、恩師の依頼で土日を使い就職後もを続けました。(※生徒さんは日本人、中国人の両方)

タンゴでは、この後2011年に第一回上海タンゴ国際フェスティバルにデモ出演しました。(↑の写真)

 

大手企業からヘッドハンティング!

就職したIT企業では営業を主にやっていましたが、 取引先である某大手コンビニチェーンに副部長の待遇でヘッドハンティングされる事に。

突然のことでかなりビックリしましたが、中国ではヘッドハンティング専門の会社もあるそうで、別に珍しい出来事ではないでそうです。

この話は社長、副社長に相談し、相手先とも話し合った結果、移籍と言う形で穏便に転職する事になりました。

 

上海外灘夜景

転職後、この企業はさすがヘッドハンティングするだけあって、殺人的な忙しさでした。

踊る時間はほとんど皆無。って言うか、寝る時間も怪しいほど仕事に追われました。

当時その企業は上海で悪化した業績を立て直す為、日本から支社長、部長級のエースが10人ほど送り込まれ大改革に取り組んでいました。(私は現地採用としてそのメンバーに組み込まれました)

そうこうしているうちに改革も一段落。自分でも何かやりたいと強く思うようになり、社長に自立しいたと相談、退職の許可を得ました。

 

目黒にスタジオオープン

実家に連絡をとると「事業をやるなら目黒の自宅(私の不在時には空家となっていた)を好きに使って良い」と言われ、現在のスタジオ計画を進行。

2013年10月にオープンしたStudioSeanで、アルゼンチンタンゴ教室とキックボクシング教室を日替わりで開始。

当初はアルゼンチンタンゴのレッスンをメインで行っていましたが、時代の流れと言うか、キックボクシングが流行り出した時期と言う事もあり、アルゼンチンタンゴの教室は翌年の夏で終了。

現在はキックボクシングのみ、しかも教室と言うよりはフィットネスとしてキックボクシングを教えています。

 

ありがとうございました

長文にお付き合い頂き有難う御座いました。m(_ _;)m

見て頂いた様に、私の生き様はこのように支離滅裂で意味不明です(汗)しかし、私のこの様々な経験は今の私自身を確立させた、貴重な思い出です。

今後も変わらず走り続けますので、応援の程、宜しくお願いします!!

 

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